コミュニケーションについての雑感⑧ 葬送のフリーレンより 「空気をよむ 本来の意味」
随分前ですが、ある番組をきっかけに「KY」というのが若者を中心に大流行したことがあります。
「空気が読めない」あるいは「空気を読め」の略号。
今でもつかわれているのかな・・・・他人に対して「空気読めよ!」って批判しているのは時折耳にしますが。→’ネットだと 目にする ですね 笑

葬送のフリーレン 第1話の中にもこの言葉がでてきました。
圧倒的な寿命の差から、人間の感覚とかなりずれているフリーレンの言葉は、しばしば人間感覚のおしゃべりに水をさしてしまいます。

僧侶ハイター『10年ですか…いろいろなことがありましたね』
ヒンメル『まったく。クソみたいな思い出しかないな。でも楽しかったよ。僕は君たちと冒険ができてよかった』
ハイター『そうですね』

フリーレン『
短い間だったけどね

ヒンメル『短い?何を言ってるんだ?10年だぞ?』


1000年以上生きるエルフとしては自然な発言であるわけですよね。
50年も100年も、ほんの数週間とか数ヶ月の感覚なのでしょう。


魔王討伐をはたして凱旋したお祭りムードの中、50年に一度の大流星群が起こり、感慨にふけっている場面


ヒンメル『50年に1度の流星群。平和な時代の幕開けにはちょうどいいな』
フリーレン『街中だと見えにくいね』
ヒンメル『人が感動しているんだ。
空気を読みたまえ

フリーレン『じゃあ次、50年後もっと綺麗に見える場所知ってるから案内するよ』


人間メンバーは「50年後が自分達にあるのかな」と思ってしまっているわけですが、そこはフリーレンに向かって「空気をよみたまえ」といっただけのことはある対応をします。

それこそ昨日ふれた「みんなとの楽しい時間をもう一度」という姿勢がにじみでた言葉なのだから、ここで寿命の違いを言い出すのは野暮であるということでもあるのでしょう。

ヒンメル『…ふふっ』
フリーレン『何?』
ヒンメル『…いや、なんでもない 
そうだな、みんなで見よう


ここでは確かに「場の空気をよむ」ということをみんなが意識して、みんながいい時間を過ごせています。
そして実現できるかどうかという現実問題よりも「50年後に向けて夢をつなぐ」ということで、この人間関係を心の中でずっと継続させようとしているわけですよね。

こうしたことが「場の空気を読む」ということの本義だと思います。
そして大事なのは、
「自分」も場の構成員であり、自分もみんなと一緒により幸せになれる・・・そのために場の空気をよむ・・・・昔から言われてきた言葉で言えば

「気配り」

ということなんだと思います。